1歳の誕生日
私事ではございますが、2018年の7月12日を持ちまして川島如恵留くんに堕ちて丁度1年となりました。
(ここから出てくる「彼」= 川島如恵留さんです)
ジャニヲタとしての私のステータスはYa−Ya−yahを起源とし、Hey! Say! JUMPデビューにより、Ya−Ya−yahが事実上解散となってからは主にデビュー組をフラフラしていました。
元々飽き性で軽率に他の沼に手を出しては片足だけ浸してつまみ食い感覚が大好きな私は、1年間ずっと「同じ人が1番好き」で居られた試しがありません。
好きだなぁ・・・と思うことがあって色々調べていくうちに熱をあげて、いつの間にかファンになってた。ということが多々ありましたが、あまり長続きはせず、それは今思えば「掛け持ち」というよりも「ブーム」と言う方が相応しいような。所詮「にわか」と言われてもおかしくないような。その時は完全にそのグループ1色でこのグループが一番好き!!と思ってはいても数ヶ月後には周辺の別のグループに気を取られている・・・といった状態でした。
恐らくTravis Japanもそうなるんだろうな、と最初自分が片足を浸している時に思いました。
如恵留さんやTravis Japan自体はそれより以前から名前は聞いたことある、くらいには存じ上げていて、姉が先に美勇人にハマったことにより、滝CHANNELをはじめガムシャラ!や少クラなど色んな映像を見せられて、Travis Japanへの興味は順調に上昇。
ダンスが1番上手いグループは○○だ!!
とずっと思っていた私の凝り固まった価値観をいとも簡単に崩してくれた圧倒的ダンスパフォーマンス。
興味はグループへ向き、絶賛「トラジャブーム」の渦中。でもハマっていくうちにTravis Japanは一際「順風満帆」とはいかないグループなんだ、ということを知りました。
過去のドル誌を漁っても、全員で毎回載るようになったのは一年前。(2016)少クラにも毎回出演するようになったのも最近の話。半年前から立て続けにメンバーの脱退を経験。
オリジナルの衣装を貰ったのもつい最近で、オリジナル曲は未だなし・・・・
人気商売故の事務所からの「推され」と「そうでないもの」の格差を目のあたりにした頃、ステナビにTravisJapanが掲載されたon stage Jr.!の記事に出会いました。
真摯に仕事に向き合ってやっと少しずつ評価されるようになったにも関わらず彼に「夢を追いたい」と、言わせてしまった。僕達にオリジナル曲やオリジナルの衣装があって、もっとメインでやらせてもらっているグループなら、もしかしたらこの決断には至っていなかったかもしれない
10年ほど時を同じくして戦ってきた同期が、グループを抜け、違う道を選んだことに対する気持ちをストレートに綴ってある。言い方はあまり良くありませんが、この時、私は彼にYa−Ya−yahの嘗ての自担に重ねて同情してしまったんだと思います。夢を追ってグループを抜けていったメンバーを引き止めたくてもそれは出来ないし、自分達にもっと力があれば、と悔んでしまう。当事者でもなんでもないのに、歯痒くて、辛くて、どうしようもなく切ない気持ち。
そんな中、美勇人がTravisJapanを抜けるかもしれない、と噂が立ったあの帝劇の記者会見があったのは、その数日後の話でした。
ネットニュースで流れてくるインタビューに、出演するJrグループが1人ずつ、コメントを残して記載されたものを流し読み、TravisJapanの所を見て飛び込んできた文字。
6人で頑張っていきたいと思います。
ステナビで「最後の一人になってもTravis Japanでいたいと思ってる!!」と言っていた美勇人の名前の横に、Travis Japanの文字がなかった。
あぁ、またこの人から大事なものを奪っていくのか。
漠然と思ったと同時に、頭の中で警鐘がずっと鳴っていました。
このままこのグループに肩入れするのは危ない。
アイドルに明確な明日なんてない。デビュー組はまだしも、増してやJrなんていついなくなるか分からない。グループだっていつの間にか無くなっているなんて日常茶飯事。
大好きだったYa−Ya−yahを思い出す。
Jrのトップを走っていたって、簡単にバラバラにされてしまう。
あんな辛い思いをしてまでJrを応援する覚悟が、この時の私にはありませんでした。
これ以上このグループに深入りするのはよそう。少しずつ傾きかけていた気持ちに急ブレーキをかけて、意図的にTravis Japanの情報が入ってこないように。twitterのミュートワードに「トラジャ」と「Travis Japan」を設定するほど徹底しました。
しかし、何があるか分からないのが人生。
衝撃の帝劇制作発表が行われた数週間後の7月12日。一年前の今日、何があったのか。
この日は、ミュージカル 「ボクが死んだ日はハレ」 初日。
つい半年前までずっと共に活動していた仲田拡輝くんが、「百名ヒロキ」として新たに俳優としてスタートした彼の初舞台の、初日。
その、見学レポがTLに流れてきました。
舞台:僕の死んだ日はハレ 初日 夜 見学 川島如恵留
黒のスーツに身を包み、花束を抱えた金髪の彼が、ファンの目の前を横切っていったと、Twitterで話題になっていました。観劇中は肩を震わせて泣いて、パイナップル柄のタオルハンカチで目頭を抑えていたというレポートに言いようのない切なさと苦しさが押し寄せてきて、本当に、生まれて初めてレポートで泣いてしまいました。
ジャニーズを辞めて、舞台俳優になって活躍するタレントは今も沢山いらっしゃいますが、そのステージを現役ジャニーズが観劇している、とはあまり聞いたことがありませんでした。それも、元同じグループで。
そう言えば以前彼がアイドル誌で語っていた。
仲間の舞台なんで気合いを入れてスーツを着て見に行きました!
(メンバーの出ている舞台に見学へ行く時)差し入れにメンバーに合う花を持っていきます
何でスーツできたのか。それがたまたまなのか。
花束に込めた意味は何だったんだろうか。
舞台の内容で泣いたのか、仲間の晴れ姿に泣いたのか。色々込み上げてくるものがあって泣いたのか。何一つ分からないけれど。
あの、ステナビのインタビューが瞬時にフラッシュバックで蘇りました。もっと自分が仲間のために出来たことがあったのなら、と自分を攻めているようにも受けられた言葉と、それでも背中を押して送り出した仲間が掴んだ夢。
どんな思いで観たんだろうか。
どう見えたんだろうか。
気がつけば頭の中はそればかり浮かんで、考えるだけで私の方が心臓を握りしめられたように切なくて、苦しくて、どうしようもなくこの人に幸せになって欲しい、と思ってしまいました。
これが、彼なりの"愛"なんでしょうか。
それを如恵留さん自身は"重い"と表現するけれど
私には"重い愛"というより"深い愛"の方がしっくりくるような気がします。
仲間の新たなスタートを、俳優としての誕生日に"気合いを入れて"スーツで花束を。
いいなぁ
こんなふうに、仲間を愛してくれるこんな人のファンになれたら幸せだろうな。
こう思った時点で、私は川島如恵留という人に完敗していたんだと思います。
Jrを応援することで訪れるかもしれない、いつかいなくなってしまう悲しみを負うリスクよりも、この"重い"と言われるくらい愛情深い最年長にどうにかして報われて欲しくて、涙を流したと言われる彼が幸せそうに笑っている世界が見たくて、この先どうあっても彼がこの業界で夢を叶えて輝く姿を、Travis Japanとして行く末を見てみたい。
そう、強く思ったその時から、私は川島如恵留さんに沼に沈められる日々が始まりました。
トラジャ担を名乗るようになってから、今日まで1年間の間で様々なことが起こりすぎて非常に目まぐるしくて早かったような、長かったような、時間感覚は麻痺しています。
EXでPLAYZONEが蘇って
ミューコロの仙台公演で美勇人がいて
9月になると6人になって
少クラで初めてオリジナル曲として夢のハリウッドを披露してトラジャ担皆で喜んで泣いて
宮近くんの舞台が決まって
10月になると5人になってて
全身カラータイツのピンナップに元気をもらって
えび座のバックで犬のコスプレしてるって聞いて
福岡までSHOCKを見に遠征してるってレポを見て
少年収にいなかったことに「解散」の2文字が色濃くなってしんどかった。
でもその翌週にでたMYOJOで夢ハリに2番があると知ってちょっとだけど希望が持てて、
11月の湾岸ライブで松松がゲスト出演して、そのまま加入して、宮近くんに「松松に文句があるやつは俺が許さない😤」と言われた。
その翌日に新生Travis Japanとして初めて少クラで夢のハリウッドを披露して、その日一番の歓声を貰って、
年末カウントダウンで夢ハリを東京ドームで披露して、まいったネ今夜で沸いてテレビの前でギャーギャー言って年明けて、
ハピアイでとってもいい位置で踊らせてもらえて、
キンプリのデビューが決まって、ひとつの時代が動いた瞬間を見て
横浜アリーナでの単独公演が決定した。
今までとは規模が大きすぎる公演に興奮した。
初めて生で自担と自軍を見て言いようのない感動を覚えて夢のステージへ連れてってくれた。
いつの間にかYouTuberとなって無料でTravis Japanが見れるようになって
しめちゃんとげんげんがスカッとジャパンに出て視聴者をキュンキュンさせて
ずっとほしいと言い続けたWeb連載が決まって
ずっと見てみたかった如恵留さんの地上波でのソロの仕事に歓喜して休みを取ってリアタイして
宮近くんがドラマに出まくってまさかの特捜9の方がレギュラー出演になって
ダブルカイトとまさかののえしめでラジオをやって耳が溶けた。
去年に引き続きキスマイ兄さんのツアーにつかせてもらって、いつの間にかオリジナル曲は4曲になって、衣装も振り付けも考えてもらうという素敵なプレゼントを貰って
しめちゃんが単独でドラマに出演して
TDCホールでライブとしめちかんちゅの舞台が決まって
YouTubeの祭典でJr代表として夢ハリを踊った。
激動だった1年間、正直言えばやっぱり辛いこともたくさんあって、「別のグループを応援していたらこんな思いはしなかったのかな」とか「ファンをやめられたら幸せなのかな」とか思ってしまうことも少なくはなかったです。
泣いたことも1度や2度ではないし、「どうしてトラジャだけ」と思うことも多々ありました。
他のグループは主演舞台や単独ライブで充実してるようにみえて本当に隣の芝生が青かった。
それでも、やっぱり如恵留担を降りることはできなくて、いつの間にか立派な箱推しになっていました。いつもいつも前を向いて最高のパフォーマンスをしてくれるTravis Japanが誇らしくて、ファンと一緒に、同じ歩幅で走ろうとしてくれるTravis Japanが大好きです。
いつか、いつか「今一番好きな人」が如恵留さんから変わってしまうのではないか、と危惧していましたが、それもなく。
彼に落ちてからはずっとトラジャと如恵留さんが気になって他を見向きする余裕さえ与えてはくれません(笑)姉曰く「沼見つけがちの雑食」の私ですが、本日を持ちまして如恵留さんが歴代で最長の担歴になります。
この1年間で恐らく一番使ったであろうフレーズ。
「半年前、一年前では考えられなかった今日」
何度も何度も嘆いた。特に昨年の秋は、まるでこの世の不幸を全て集中させたんじゃないか(大袈裟)と思うくらい、大好きな人たちの明日が全く見えなくて絶望の渦のど真ん中にいるような気分でした。
でも今は本当に声を大にしてTravis Japanを、川島如恵留さんを応援していて良かったと叫びたいです。
彼らを、川島如恵留さんを含むTravis Japanに関わってくれた全ての人に幸せだと言いふらしたい。
私が見てきたものは彼らの物語のほんの1ページに過ぎないですが、これから先もずっと、Travis Japanのファンとして、如恵留担として、彼らの進む未来を共に見届けることができたらいいな、と思います。
如恵留担、1歳になりました。
願わくば彼らの往く道に幸多からんことを。